小さい子どもが食事をするとき、食器はプラスティック製のものを使うのが一般的だと思いますが、私は長男が一歳半のころ、飲み物をあえて(注1)①ガラスのコップに入れて与えてみました。すると案の定(注2)、床に落としてコップを割ってしまいました。しかし、何度か同じことを繰り返しているうちに静かにコップを置くようになりました。
私は、できるだけ早い時期から子どもに物事の判断基準を教えることが親の役割だと思っていますから、言葉で理解できない小さい子どもであっても、自分で経験したり、考えたりする機会を多く与えることによって、判断する力を身につけさせようとしたのです。
次第に言葉を理解できるようになると、何かを教えようとするとき必ず理由を説明しながら教えるようにしました。初めは②それで納得していたのでしょうが、やがて子どもは私の言ったことに反論してくるようになりました。しかし、それは子どもの成長の一つであり、③私にはとてもうれしいことでした。
(中略)
私の三人に子どもたちも成長し、長男は大学に一年間通った後、現在は学校を休学し、カリフォルニアでカンボジア難民(注3)を相手にボランティア(注4)活動をしています。我が家では、私の父も私自身もボランティア活動を経験しており、子どもにも小さいときから大学生になったら④ボランティアさせるつもりでいました。今彼の行っている活動は私の考えていた以上に厳しいものですが、彼はその中で学校などでは学べない様様な貴重(きちょう)な経験をし、みちがえる(注5)ほど成長しました。どちらかというと自分のことしか考えていなかったような人間が、他人のことを第一に考えるようになり、自分が奉仕(注6)することによって何人もの人が助かったことがうれしいと言います。また、これまでの自分がいかに豊かで恵まれていたかを改めて感じていることでしょう。最近もらった手紙を読むと、ボランティア活動を始めたときとはまるで他人が書いているかのような内容で驚きました。
日本でも昔からボランティアが行われていましたが、まだまだ経験が少なく習慣になっていないのが実情(注7)です。もう少し時間がかかるかもしれませんが、これからは、ボランティアの精神を学校や親が子どもに教えるとともに、さらに活動の機会を与えることが必要だと思います。 (ケント・ギルバート「私と教育、わたしとしつけ」「文部時報」1999年1月号ぎょうせいによる)
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(注1)あえて:難しいとわかっていても (注2)案の定:心配していたとおり (注3)難民:戦争などで国外に逃げ、困難な生活をしている人々 (注4)ボランティア:お金をもらわずに社会や他人のために活動すること (注5)見違える(みちがえる):変化が大きくて、すぐに同じ人だとわからない (注6)奉仕(ほうし)する:利益を求めずに社会や他人のために働く (注7)実情(じつじょう):実際の状況 |
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